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お産婆さんに取り上げてもらいました(吉備路の総社生まれ)
島崎藤村が生きた時代の保健事情

小諸といえば島崎藤村の「千曲川旅情のうた」で有名です。
島崎藤村は明治5年(1872年)に生まれ、昭和18年(1943年)に亡くなりました。
71歳でしたから、「人生50年」と言われた戦前にしては、決して短くなかったと思います。

ところで、ジョイセフの活動がめざすのは、
妊産婦と女性を守ることです。
妊産婦死亡の削減に全力で取り組んでいます。


藤村記念館で年譜を見て、当時の母子保健事情に驚きました。
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1899年   教え子の冬子と結婚
1900年5月  長女 みどり誕生
     (7歳のとき、はしかによる脳炎で死亡)
1902年3月  次女 孝子誕生  
1904年4月  三女 縫子誕生 
1905年5月  三女 縫子死亡
1905年10月 長男 楠男誕生
1906年4月  次女 孝子死亡
1906年6月  長女みどり死亡
1907年9月  次男 鶏二誕生
1908年12月 三男 蓊助誕生
1910年8月 冬子 四女の柳子を産んだ日
    ★出血多量により死亡★

3男4女がいましたが、冬子は4人の幼子を残して亡くなりました。
胸がつまります。悲しい現実です。
統計によると、冬子が亡くなった1910年の妊産婦死亡数は、6228人
冬子も、この 6228人の一人なのです。
この年の出生10万あたりの妊産婦死亡率は、 363.6。
2015年現在、アフリカのエチオピアやマダカスカルとほぼ同じ。

もし今だったら、命を落とした3人の子どもと、
妻の冬子は死なずにすんだのではないでしょうか。

冬子は次々に妊娠し、
幼くして3人の娘を失い、
自らも四女の出産時に、出血のため命を落とす。
しかも1906年には、同じ年のうちに続けて2人の子どもを失っています。

乳児死亡率も妊産婦死亡率も世界でもっとも低い水準を達成した、
日本の母子保健向上の過程は、途上国にとって大いに役立つ経験です。

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8月、信州へのプチ旅行で、小布施の街ウォーキングを
楽しんできた時、長野電鉄に乗って鉄橋を渡りながら
車内から一瞬だけ見えた千曲川の流れをみて、
次は小諸に行こうと思ったのです。
新潟では信濃川と名をかえて日本海に注ぐ
日本一の長さをほこる大河。
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そんなわけで、9月に小諸に行ってきました。
東京から日帰り圏内、現地で5時間あまり過ごせます。
天気予報を見てから前日に切符を買って、
東京発 8時44分の新幹線 はくたか 555号。
佐久平から小海線に乗って小諸駅に10時28分着
小諸を後にしたのは、16時22分
佐久平で乗り換え、あさま 624号で上野駅着18時06分

ひとり旅の秋のひと時でした。


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by joi-maba | 2017-10-03 20:25 | 日々 | Comments(0)
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