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お産婆さんに取り上げてもらいました(吉備路の総社生まれ)
カテゴリ:日々( 64 )
私の宝物(1)
加藤シヅエさんの形見分けのストール
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これは私の宝物のひとつです。
いま職場でひざかけとしても愛用していますが、色合い、風合い、手触りがよく、何よりも“私ごとき”にまで分けてくださったことがありがたくて、この10年近く、感動しっぱなしで大切に使っています。最近、chisaさんから「すてきね」と言われ、さらにうれしい限りでした。このストールのほか、水玉模様のブラウス、青と黒の毛糸のマフラーもいただきました。

私が加藤シヅエさんと一体どんな接点があったのかって? 不思議でしょう。

ひと昔もふた昔も前のことです。ジョイセフにも関係する会合に出席される時など、何度かお迎えに行って車に同乗させていただき、会場でもしばしお話しする機会があったのです。そんな折に聞かせていただいたエピソードの数々――人物伝や政治談議は、そのたび学ぶことがいっぱいでした。どんなことが話題になるかと、にわか勉強で事前に予習をしたこともありました。

加藤シヅエさんは1995年から2001年12月に104歳で亡くなるまで、ジョイセフの会長でした。明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生き抜いた足跡はとても一言では語れません。日本の産児調節運動のパイオニア―日本のサンガー夫人とも呼ばれていました。ニューヨークの貧民街で産児調節運動をするマーガレット・サンガーさんたちと、国際的な団体・国際家族計画連盟の設立にもかかわりました(1952年)。当初の加盟国は8カ国。今では200カ国近くになっています。

話が前後しますが、以下、ご参考まで。

17歳のとき最初の結婚をし、夫石本恵吉男爵の赴任先の三井鉱山で、悲惨な炭鉱労働者の生活を知った。数年後、ニューヨークで、貧民街での産児調節運動をするマーガレット・サンガーと出会う。サンガーの思想が炭鉱町にも必要であることを痛感し、日本での運動を決意。帰国直後の1922年にサンガーを日本に招待し、講演会などを開催。これを機に日本での産児調節運動をスタートさせた。

1930年代には日本産児調節婦人連盟を設立、産児制限相談所を開設。1944年加藤勘十氏と結婚。1946年、戦後初の選挙で、女性39人のひとりとして国会議員になる。1954年には日本家族計画連盟を設立、後に会長に。1988年国連人口賞を受賞。

長くなってしまいました。断片的な文章ですみません。
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by joi-maba | 2010-01-07 18:14 | 日々 | Comments(6)
明けましておめでとう!!
長らくご無沙汰してしまい、とうとう12月はダンマリのひと月でしたとさ。若いスタッフたちは、いつ時間があるのだろうかと不思議なほど、寸暇を惜しんでブログ書いてるのに、アラ還は、うんと出遅れてます。

さてさて、明けましておめでとうございます
 
昨年は、公私とも、目まぐるしくいろいろなことがあった一年でした。時間を大切に生きなければと、立ち止まって考える時期だと感じています。

“世界は人間なしに始まった”のに、生き物のうち人間だけが自然に反する異様な存在になってしまいました。武器も作ってしまいました。地球と生き物と隣人と、共生の道を歩みたいものです。

池田香代子さん+池上彰さんが、日本に視点を移した本を作りました。『日本がもし100人の村だったら』(マガジンハウス、952円)。ご一読を!

そうそう、2001年12月に出た、元祖『世界がもし100人の村だったら』には、ほんのちょっぴりですが、資料のところで池田さんに協力したんですよ。これって、自己ピーアール!?なんちゃってね。ジョイセフピーアールでっす。元祖『世界がもし~』も読んでね。

というわけで、今年もどうぞよろしくお願いします。

2010年 元 旦

蛇足ですが、昨年末の大失敗!をご披露しちゃいます。
年賀状はさっさと、12月27日には出し終わって、例年より“グッドジョブ”なんて、自分をほめていたら、な、なんと… 2009年元旦 って印刷したのを出してしまったのです。後の祭りです。

確か年は変えたのに、何故だ。そうだパソコンとモデムの不調で、40日間、気が動転していたんです。それで、2009年の文面が見つからなかったため、2008年のを基にしたので年数を2年進めなくてはいけないことを忘れて、1年しか進めていなかったのです。気付いたのは30日、どきっとして、寿命が半年ほど縮みました。ああ~~。mabaは、仕事柄、刷り上がって納品された物を手に、今までに何回も寿命が縮む思いをしましたのに。懲りないもんだねぇ。反省
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by joi-maba | 2010-01-01 00:13 | 日々 | Comments(2)
オレンジ色のピーマン
今頃になってしまったけど、オレンジ色のイメージのピーマンの寸詰まりの写真を入れました。
18個あったのですが、全部真赤に熟れて、2つはもうだめになっちゃいました。
18個全部が、オレンジと赤になった日は、ちょっと嬉しい気分でしたよ。

アップしたのは、4個だけを撮った写真です。この植物の名前、今調べているところで~す。わかる人、教えてくださいね。


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地元商店街では、はや恒例のイルミネーションの準備が進んでいます。きれいだと思う気持ちと、取り付けられるハナミズキの気持ちを考えると、なんだか複雑です。

それにイルミネーションの光より、満天の☆のほうが見たいよ~。夜は真っ暗がいいかも。目のせいもあるかもしれないけれど、すぐにわかるのは金星だけ。冬の夜空に目をこらすと、オリオン座がかすかに見えるだけ。

満天の☆に感激したのは、20年も前の本栖湖での記憶です。総社に住んでいた幼いころは、北斗七星やカシオペアなど、たくさん見たけどなぁ。
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by joi-maba | 2009-11-20 20:03 | 日々 | Comments(5)
オレンジ色から、赤と緑へ
オレンジ色から、

31日はハロウィーン。このひと月ほどは、街を歩くと妙にオレンジ色が目につきました。

25日の日曜日に、“ハロウィーンの花束”と札がかけてあったのを買ってきました。売っていたのは、お花屋さんじゃなく、スーパーだったので、植物の名前全部はわからないまま。朱色の花は、たぶん菊と千日草でしょう。

“寸詰まりのピーマン”のような形(ピーマンさん、ゴメンナサイ)というか、ペンダント型の照明のような実が、茎にたくさんぶら下がっているのは、なんとも愛嬌いっぱいで、とってもかわいいんです。数えたら全部で18個あって、そのうちの3つは、すでに真っ赤

ピーマンのような緑色からほんのり色合が変わっていくのを、わくわくしながら楽しみにしています。3つほどはオレンジに変わりつつある状態。そのスピードが意外に早いのにびっくりしました。緑からオレンジ色を経て赤へと変わるのに、ちょっぴり色付きを感じてから丸三日くらいかかります。朝、色付き始めていると思ったのが、夜にはかなり赤く熟れていたりするのです。

31日を過ぎて、街からオレンジ色がなくなっても、テーブルの上のささやかな楽しみは、当分のあいだ続きそうです。今度写真で報告しますね。

それにしても、ハロウィーンに便乗?して、街をオレンジ色に染めてしまう商魂は見上げたものです。

そして早や、ポインセチアが鮮やかな赤と緑でお花屋さんに並び、クリスマスの到来を予告しています。こうして今年もあと2カ月となって、あっという間に終わってしまうのかと思うと、ちょっぴりさびしいな。
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by joi-maba | 2009-11-01 00:27 | 日々 | Comments(0)