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お産婆さんに取り上げてもらいました(吉備路の総社生まれ)
私の宝物(1)
加藤シヅエさんの形見分けのストール
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これは私の宝物のひとつです。
いま職場でひざかけとしても愛用していますが、色合い、風合い、手触りがよく、何よりも“私ごとき”にまで分けてくださったことがありがたくて、この10年近く、感動しっぱなしで大切に使っています。最近、chisaさんから「すてきね」と言われ、さらにうれしい限りでした。このストールのほか、水玉模様のブラウス、青と黒の毛糸のマフラーもいただきました。

私が加藤シヅエさんと一体どんな接点があったのかって? 不思議でしょう。

ひと昔もふた昔も前のことです。ジョイセフにも関係する会合に出席される時など、何度かお迎えに行って車に同乗させていただき、会場でもしばしお話しする機会があったのです。そんな折に聞かせていただいたエピソードの数々――人物伝や政治談議は、そのたび学ぶことがいっぱいでした。どんなことが話題になるかと、にわか勉強で事前に予習をしたこともありました。

加藤シヅエさんは1995年から2001年12月に104歳で亡くなるまで、ジョイセフの会長でした。明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生き抜いた足跡はとても一言では語れません。日本の産児調節運動のパイオニア―日本のサンガー夫人とも呼ばれていました。ニューヨークの貧民街で産児調節運動をするマーガレット・サンガーさんたちと、国際的な団体・国際家族計画連盟の設立にもかかわりました(1952年)。当初の加盟国は8カ国。今では200カ国近くになっています。

話が前後しますが、以下、ご参考まで。

17歳のとき最初の結婚をし、夫石本恵吉男爵の赴任先の三井鉱山で、悲惨な炭鉱労働者の生活を知った。数年後、ニューヨークで、貧民街での産児調節運動をするマーガレット・サンガーと出会う。サンガーの思想が炭鉱町にも必要であることを痛感し、日本での運動を決意。帰国直後の1922年にサンガーを日本に招待し、講演会などを開催。これを機に日本での産児調節運動をスタートさせた。

1930年代には日本産児調節婦人連盟を設立、産児制限相談所を開設。1944年加藤勘十氏と結婚。1946年、戦後初の選挙で、女性39人のひとりとして国会議員になる。1954年には日本家族計画連盟を設立、後に会長に。1988年国連人口賞を受賞。

長くなってしまいました。断片的な文章ですみません。
by joi-maba | 2010-01-07 18:14 | 日々
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